『僕達はまだその星の校則を知らない』が最終話を迎えた。この物語らしい、優しくて、最後は少しお伽話のようなエンディングだった。『ぼくほし』とは何を描いた物語だったのか。最後に語ってみたい。
生きづらさが生まれるのは、ルールが自分に合わないから
「結局何も変わんなかった。もうがっかり」
このドラマは、世界を変えられないことへの絶望から幕を開けた。自由と権利を求めた制服裁判。しかしそれは大人の都合の良い論理展開の前に、いとも容易くねじ伏せられた。納得がいかず不満を漏らす敗者に「冷めること言うなよ」を冷や水を浴びせ、組織における不満分子を聞き分けの悪い石頭のようにレッテル貼りする。自分と相容れない価値観の人を「思想が強い」と異端みたいに扱うのと同じだ。そうやって今まで小さな声はかき消されてきた。
だが、そこで一度は世界に絶望した北原かえで(中野有紗)は、「家庭」という世界のルールメーカーである父と決別し、こう言う。
「それが今の世界でできないのだとしたら、いつか私はそういう世界をつくりたい」
彼女は決して絶望などしていなかった。強大な権力が革命の旗を折るのであれば、いつまでもその星にとどまり続ける必要などない。私たちは、私たちの思う理想の世界をつくればいい。私たちらしいルールのもとで。あの北原かえでは、新しい時代の希望だった。
このドラマでは、今の10代が抱える困難をいくつも照らし出してきたけれど、多くの場合、生きづらさが生まれるのは、ルールが自分に合わないからだ。その世界における普通が、その世界における当たり前が、どうしても理解できない、自分に内面化できない。だから、うまく呼吸ができない。
私たちは花じゃないんだから、置かれた場所で咲く必要なんてない。もっと自然に息が吸えるようにルールを書き換えていこう。最終話の法廷対決は、これからの世界のつくり方が描かれていた。
「先生も大変。学校も大変。これは、実際問題どうしたらいいんでしょうね」
白鳥健治(磯村勇斗)の問いかけをきっかけに、傍聴席で対話が始まる。先生が悪いわけじゃない。学校が悪いわけじゃない。みんな、答えがわからなくて途方に暮れている。アメリカの例がいいのだろうか。いや、でも自分は日本のやり方のほうがいい。あちこちで意見が生まれる。
一人で答えは生まれない。同じコミュニティ、同じ属性の者同士で話しているだけでも視点が広がらない。年齢も、性別も、国籍も、立場も違う人たちが話すから生まれるもの。新しい世界のルールは、きっとそこにある。
思えば、制服裁判のときは尾碕美佐雄(稲垣吾郎)が正論風の論理で言いくるめ、その言い分が正しいのかどうか十分に検討する間もなく、なんとなく周りが拍手するから拍手するほうに流れ、決着がついた。きっとこれまでのルールの多くは、こんなふうにつくられてきたんだと思う。
でも、もう今はトップダウンですべてを決める時代じゃない。もっと当事者側から生まれる議論を乗せていこう。第1話と最終話の鮮やかな対比こそが、このドラマのメッセージそのものだったように思う。
ドラマを観るということは、天体観測に近い
「でも、声を上げてよかった」
裁判の締めくくりに、山田美郷(平岩紙)はそのよく通る声で胸を張った。これも第1話との対比になっていた。
「世間もSNSも声を上げる人間の意見ばかりが目につくが、そういう人間は案外少数派で、声なき声のほうがマジョリティのことも多い」
尾碕はノイジーマイノリティとラベリングすることで、小さな声を無効化した。声を上げる人の勇気をへし折った。確かに山田は体制から見れば厄介な少数派だったことだろう。同僚の先生たちだって、わざわざそんな面倒なことを起こさなくてもという目で山田を見ていた。だけど、彼女が声を上げなければ対話は生まれなかった。声を上げた人が絶望する社会は、地獄だ。
それと同時に、今回は山田が声を上げる立場だったけど、制服裁判のときの山田は声を封殺する側だったことも忘れてはいけない。人はある局面においてはマイノリティとなり、ある局面においてはマジョリティとなる。自分は虐げられている無力な側だと思っている人間が、平気で人の足を踏んでいることもあるから、世界はとても難しい。
そのことをちゃんと理解した上で、人と向き合っていくこと。一人で生きることももちろんできるけど、一歩踏み出した先にある出会いは、人生に美しい色を添えてくれる。そんなことを感じさせてくれたドラマだった。
宮沢賢治の世界観を下敷きにしながら、叙情的な台詞と魅力的な人物造形で世界の美しさを見せてくれた⼤森美⾹の脚本、ギターの音色がノスタルジーを呼び起こすBenjamin Bedoussacの音楽、幻想的な映像美で現代の寓話を立ち上がらせた山口健人ら監督陣の手腕はどれも冴え渡っていた(中でも5話ラストの夕立ちの川辺は息を呑むほど美しかった!)。
磯村勇斗、堀田真由、稲垣吾郎らメインキャストも充実していたが、まだ見ぬ才能に光を当てるのがメディアの役割とするならば、やはりここは生徒たちに拍手を送りたい。どの生徒も本当に良かったけど、中でも斎藤瑞穂役の南琴奈の透明感、北原かえで役の中野有紗の硬質な凛々しさ、高瀬佑介役ののせりんの素朴の中にある詩情は、このドラマの世界観に大きな還元をもたらしていたと思う。
ドラマを観るということは、天体観測に近い。特に今はドラマの数があまりにも増えすぎていて、すべてを網羅できる人はごくわずかだろう。無数の星の中から星座を探し出すように、大抵の場合は、そのクールの中で何本かお気に入りを見つけて、最終話まで追い続ける。そして、このドラマを見つけた多くの人にとって、『ぼくほし』は自分だけの一等星となった。
今期ナンバーワンなんて言い方は似合わない。『ぼくほし』は私のオンリーワンだ。
(文・横川良明)
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