『ラムネモンキー』は一貫して「大人になるとはどういうことか」を描いたドラマだった。
3人の主人公、“ユン”こと吉井雄太(反町隆史)、“チェン”こと藤巻肇(大森南朋)、“キンポー”こと菊原紀介(津田健次郎)は誰がどう見ても、いい大人だ。人生の後半戦を迎え、それなりにくたびれたり、あきらめたりしながら、もう若い頃のようにはいかない現実に立ち往生していた。
それが、“マチルダ”こと宮下未散(木竜麻生)失踪事件の謎を追いかけていくうちに、どんどん子どもに返っていった。厨二の心を取り戻していった。いい大人だった3人は、途方もない空想に胸を膨らませるバカで一生懸命なガキの顔になっていった。
でも、いくら厨二の心を宿したからといって、本当に無鉄砲な子どもに戻れるわけじゃない。立場だってあるし、守らなきゃいけないものもある。悪を倒すカンフースターになれないことくらい、とっくの昔にわかっている。
正義と保身を天秤にかけたとき、どちらを選ぶのが大人として正しいのか。『ラムネモンキー』第10話は、まさに選択の物語だった。
大人になるということは、清濁を併せ呑むことではない
“アホの八郎”こと多胡秀明(梶原善)にマチルダ殺害を指示した黒幕は、加賀見六郎(高田純次)だった。ユンたちは加賀見邸を訪問。加賀見に真相を問いつめる。
だが加賀見は、仮に汚れ仕事に手を染めていたとしても、それは己の欲のためではなく、この国が豊かになるためだと居直り、マチルダや黒江の婆さん(前田美波里)を排除することは、丹辺の街の輝かしい未来のためには必要悪だったと言い放つ。
その上で、もしも告発をするならば、ユンたちは今の仕事や人間関係を失うかもしれないとほのめかす。権力を使い、加賀見はユンたちの口を封じようとした。
この会話が内包していたのが、「大人になるとはどういうことか」というテーマだった。今年で52歳になるというユンを、加賀見は「若いなあ。僕から見れば青年だ」と持ち上げ、「だが、ガキじゃない」と牽制した。西野白馬(福本莉子)の口にした「正義」という言葉を、「子どもが使う言葉だな」と一笑した。加賀見の腹心である吉井健人(松村雄基)もまた、ユンたちを「みんな、あのときの彼女よりずっと大人になった」と言い、大人ならばどう振る舞うべきかを示唆した。社会に通底する暗黙のルールを無視し、周囲の迷惑も顧みず正義を貫くことは、彼らにとって子どものやること。「大人になれ」とユンたちに焚き付けた。
こんな場面は、きっと誰にでもある。些細な違和感や疑問を黙って飲み込み、顔色を窺い足並みを揃える。そうした振る舞いを「大人になった」と称え、調和をあえて破ろうとする者は、異物として迫害を受ける。正義が必ずしも正しいわけではないと知ることが、大人になるということだった。
だから、ユンたちも一度はそれを受け入れようとした。今さら37年前の罪を暴いたところで、誰が幸せになるわけでもない。己の正義感を守るより、もっと大切なことがあるのだと、自分で自分に言い聞かせようとした。
けれど、そんなユンたちの心を変えたのもまたマチルダだった。実の娘を亡くし、心に傷を負ったまま夫の前から姿を消したマチルダが、夫に宛てた最後の葉書。そこに書かれた「いつか彼女のもとに行ったときに恥ずかしくないように、きれいに生きたい」という言葉。37年前のマチルダの誓いが、51歳のおじさんたちの心に直撃した。
マチルダは、もうこの世にいない。たぶんそれは抗いようのない事実なんだろう。それでも、マチルダはきっとどこかで自分たちのことを見てくれている。彼女に「カッコ悪」なんて言わせるわけにはいかない。いつかもう一度会えたときに、また頭を撫でてもらうために、自分たちがとるべき選択は一つ。
大人になるということは、分別をわきまえることでも清濁を併せ呑むことではない。過去の自分に、これまで出会ったすべての人たちに恥ずかしくない自分でい続けること。それこそが、大人になるということなのだ。
大人になるということは、清濁を併せ呑むことではない
51歳のユンたちと14歳のユンたちが交差するクライマックスは、ここまでの10話の中でもとりわけ美しくエモーショナルな場面だった。
今よりずっと背丈の低い、学生服の自分が、自分の横を追い越していく。マチルダ捜索をあきらめるために、ユンたちは空想のストーリーをつくり上げた。せめてマチルダがどこかで元気で生きていてくれますようにと。望みが薄いことなんてわかっている。でも、「この世界が空想で、空想が本当の世界かもしれない」と教えてくれたのは、他ならぬマチルダだったから。空想の世界にマチルダを閉じ込めて、その幸せを願った。それが、ユンたちにできる精一杯だった。
でも、悔しさは抑えきれない。彼らは、自分の無力さに負けたのだ。もし自分たちが大人だったら、マチルダを見つけられたかもしれない。どうにかなる前に助けられたかもしれない。あのとき、早く大人になりたいと彼らは願った。だから、ユンは野球部に戻ったのかもしれないし、チェンやキンポーも映画を撮るのをやめた。あの丘の上の別れは、ユンたちが厨二の自分に別れを告げた瞬間だった。
そして今、51歳になった彼らはまたあの丘に帰ってきた。今のユンたちはもう無力な子どもではない。悪を糾弾する力と知識を持っているし、自分の人生の責任くらい自分でとれるようになった。あのとき、できなかったことをやり遂げるために、ユンたちはあの丘でラムネを飲んだんだと思う。
その決意が美しくて、もう涙が止まらなかった。塞ぎ込むようなニュースばかりが溢れる今のこの時代に、『ラムネモンキー』は「大人としてどうありたい?」ということを、観る者一人ひとりに問いかけているようだった。
決して派手なドラマではなかったけれど、明快なテーマ、練り込まれた構成、魅力あふれるキャラクター、どれをとっても今期トップクラスの出来栄えだった。この物語をしっかりと追い続けた視聴者には、間違いなく胸に温かいものが残る作品になったと思う。
残すところは、あと最終回のみ。ほぼすべての伏線は回収されているが、依然として謎のまま残っているのは、ユンたちとマチルダが交わした約束の内容、そこで大晦日の日に見たサーチライトの光だ。これらがどんなエピローグへと僕たちを運んでくれるのか。楽しみは尽きないが、同時にすべての謎が解けたときが、この物語の終わりなんだと思うと、少し寂しい。
中学2年生の終わりと共に、ユンはチェンとキンポーと袂を分かった。3月は別れの気配が漂っていて、いつも心がざわざわする。そんなクラス替えを控えた教室にせつなさが、今、僕の胸を締めつけている。
(文・横川良明)
ドラマ『ラムネモンキー』第10話あらすじ
加賀見の汚職を告発するために、ユンはすべての罪を認め、実刑判決を受ける。チェンは監督の座を追われ、再び無職状態に。キンポーもヘルパーのひろ子(奥田恵梨華)が去り、不安定な祥子(高橋惠子)の介護に心を削られる日々を送っていた。一方、ユンたちの姿に感化された鶴見(濱尾ノリタカ)は八郎を逮捕するために独力で捜査を進めると意気込む。しかし、そんな鶴見を見送った後、キンポーが衝撃の事実を告白する。
古沢良太脚本の話題作『ラムネモンキー』。1988年と現代が交錯し、失われた記憶を掘り起こす「青春回収ミステリー」。FOD INFOでは、そんな『ラムネモンキー』の世界をさらに深く楽しむためのネタバレレビューを連載中です。 この記事では[…]
地上波放送後に次回放送分をプレミアム先行配信!
| タイトル | 『ラムネモンキー』 |
| 放送日時 | 毎週水曜22時からフジテレビ系で放送 FODでは地上波放送後に次回放送分をプレミアム先行配信 |
|---|---|
| スタッフ | 原作:古沢良太『ラムネモンキー1988』(note刊) プロデュース:成河広明(フジテレビ) プロデューサー:栗原彩乃(フジテレビ)、古郡真也(FILM) 演出:森脇智延 |
| キャスト | 反町隆史/大森南朋/津田健次郎/木竜麻生/福本莉子/濱尾ノリタカ/大角英夫/青木奏/内田煌音 ほか |
| URL | https://www.fujitv.co.jp/ramunemonkey88/(公式サイト) https://fod.fujitv.co.jp/title/80xj(FOD配信ページ) |
(C)フジテレビ
