【ネタバレ】なぜ『天国と地獄』が出会いの曲となったのか?『もしがく』久部(菅田将暉)が辿るオッフェンバックの道

稀代の喜劇作家・三谷幸喜が25年ぶりに民放GP帯連ドラの脚本を手がける『もしもこの世が舞台なら、楽屋はどこにあるのだろう』。主演に、世代のトップランナー・菅田将暉を迎え、二階堂ふみ、神木隆之介、浜辺美波ら華やかなキャストに、曲者揃いの三谷組をずらりと配した布陣で放送前から注目を集めていた話題作が、秋ドラマの先陣を切るようにスタートした。その幕開けは、三谷幸喜らしさと三谷幸喜らしからぬ雰囲気が入り混じるカオスなプロローグだった。

第1話は、自分だけのミューズと出会うまでの物語

本作の舞台は、渋谷にある八分坂横丁。入り口の看板に掲げられた「Pray speak
what has happened.(話してごらんよ、何があったか)」というフレーズの通り「happen」が由来だろう。ここは、何かが“起こる”場所。自ら立ち上げた劇団を追放された主人公・久部三成(菅田将暉)の人生が変わる場所だということが序盤から提示される。

ただし、「happen」とは裏腹に、第1話はほとんど何も起こらない。もちろん小さな事件はある。WS劇場の看板ダンサー・いざなぎダンカン(小池栄子)は照明担当のノーさん(大野泰広)と駆け落ちし、毛脛モネ(秋元才加)の息子・朝雄(佐藤大空)は行方不明。とはいえ、ドラマの起爆剤になるほどのインパクトはなく、これはどういう物語か、全貌を掴みかねる中、最後に大きな事件が起きる。

ぼったくりによって、命よりも大事なシェイクスピア全集を奪われた久部は、こっそりWS劇場のバックヤードに潜入。無事、シェイクスピア全集を取り返す。そこで聴こえてくるのが、『天国と地獄』。ジャック・オッフェンバックのつくった魂に直接鞭打つような旋律に導かれ、劇場へ足を踏み入れた久部が見たものは、ステージで踊る倖田リカ(二階堂ふみ)だった。

ノーさんが去ったWS劇場ではピンスポットを扱えるスタッフがいない。その蠱惑的な魅力に取り憑かれた久部は、弾かれるように足場を登り、リカに光を当てる。創作者には、ミューズの存在が欠かせない。坂元裕二なら松たか子に満島ひかり。岡田惠和なら有村架純に菅野美穂(もっと言えば、和久井映見)。第1話は、創作の場所を失った演出家が自分だけのミューズと出会うまでの物語だった。

この出会いの曲が『天国と地獄』であったのは、極めて暗示的だ。ジャック・オッフェンバックは、「オペレッタの父」と呼ばれる19世紀のパリの音楽家。1855年、パリのシャンゼリゼ通りにあった見世物小屋を買い取ったオッフェンバックは、「ブフ・パリジャン座」と名を改め、劇場経営に乗り出す。そして、慢性的な赤字に苦しむ中、誕生したのが日本では『天国と地獄』の邦題で知られる『地獄のオルフェ』だった。

つまり、この『天国と地獄』の1曲に、これから久部が進むであろう道が示されている。はたして久部はオッフェンバックになれるのか。壮大なショーが始まった。

久部は、三谷幸喜とは真逆の人物か?

一方、三谷幸喜の持ち味である笑いは、第1話を観る限り、かなり抑えられていた印象だ。そもそも三谷の笑いは会話劇が真骨頂。練り込まれた台詞の応酬から炙り出される人間のせせこましさやすれ違いが笑いを生んでいた。そうした三谷らしさを期待した視聴者からすれば、少々肩透かしだったかもしれない。

が、それすらも三谷幸喜にとっては織り込み済みなのだろう。そう確信を抱かせる根拠は、トップシーン。自身の演出についていけない役者たちに向かって、久部は口角泡を飛ばす。

「どうしてもっと観客を信頼しない? 彼らはわかりやすさなんか求めてはいないんだ」
「面白さに価値を見出すな」

どちらかといえば、三谷幸喜はわかりやすい作家だ。本人が強い影響を受けたと公言している劇作家ニール・サイモンのような、ウェルメイドな喜劇こそが三谷の持ち味。BRUTUSのインタビューでは「学校で教わるのは、シェイクスピアやチェーホフ、ベケット、清水邦夫さんなど難解なものばかり。僕は演劇に向いていないのかなと悩み始めていた」と明かしており(※1)、演劇の王道であるシェイクスピアと決して相性がいいわけではなかった(実際、三谷が初めてシェイクスピア作品を翻案・演出したのは、2024年の『昭和から騒ぎ』と、ごく最近のことである)。

一方で、三谷の得意とするわかりやすい喜劇は演劇界における地位が低く、演劇界では異端児だったと、三谷率いる東京サンシャインボーイズの初期作品に参加していた松重豊は証言している(※2)(ちなみに、そんな松重はその後、蜷川幸雄に弟子入りをした)。

つまり、久部の言っていることは三谷の演劇観とは相反するものであり、三谷とは真逆の人物像。独善的な久部の転落を描いた第1話のこのとっつきにくさは、のちにすべてをひっくり返すための大いなる“前置き”と見ている。

だが、天邪鬼な三谷幸喜のこと。そう容易く手の内を見破られることもしない気もする。いずれにせよ第1話だけで全容を語るのはあまりに早計。もう少しじっくりと腰を据えて、今後の行方を見守りたいところだ。少なくとも、三谷幸喜はそれだけの時間とパワーをベットするだけの作家であることは間違いないのだから。

※1 https://brutus.jp/brutuscope_929_stage/
※2 https://dot.asahi.com/articles/-/76376

(文・横川良明)

『もしもこの世が舞台なら、楽屋はどこにあるのだろう』第2話 あらすじ

WS劇場の支配人・浅野大門(野添義弘)から「うちで働いてみないか」と誘われた久部は、パトラのショーのピンスポットを担当することに。楽屋でリカと再会した久部は大いに張り切るが、リカの態度はそっけないもので……。

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タイトル 『もしもこの世が舞台なら、楽屋はどこにあるのだろう』
放送日時 毎週水曜22時からフジテレビ系で放送
FODでは地上波放送後に次回放送分をプレミアム先行配信
キャスト 菅田将暉/二階堂ふみ/神木隆之介/浜辺美波 ほか
スタッフ 脚本:三谷幸喜 演出:西浦正記
URL https://www.fujitv.co.jp/moshi_gaku/
https://fod.fujitv.co.jp/title/80uc/(配信ページ)

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