『もしもこの世が舞台なら、楽屋はどこにあるのだろう』がついに覚醒した。初日を前日に控え、第4話はゲネプロ(本番同様の状況で行われる最終通しリハーサル)。そこには、八分坂という社会の谷底で生きる人々の逆襲のドラマが待っていた。
落伍者には落伍者の誇りがある
この回は、とにかく泣けた。何に僕はこんなに涙を流しているのか。間違いない。八分坂で生きる人々の反骨心に胸を焼かれてしまったのだ。
最初の涙は、毛脛モネ(秋元才加)のせいだ。朝雄(佐藤大空)の担任・楠木(関谷春子)が家庭訪問にやってきた。美大卒の楠木が言うところによると、朝雄には絵の才能があるらしい。楠木から渡された朝雄のイラストも、なるほど、ひと目見たら忘れられない個性的なタッチと色彩感覚だ。だけど、朝雄の絵は教室に飾られることはなかった。なぜなら朝雄が描いたのは、裸で踊る母の絵だったからだ。
この八分坂は朝雄の教育に良くない。すぐにストリッパーなんて辞めるべきだ。もし辞められないなら、朝雄を施設に預けるべきだと楠木は暗にほのめかす。偶然居合わせた久部三成(菅田将暉)は楠木の言ってることは偏見だと主張する。WS劇場のダンサーはみな輝いていると言って聞かせるが、モネはそんな久部の擁護も跳ねのけた。
なぜモネは味方になってくれた久部に噛みついたのか。わかっているからだ、どんなに綺麗事で塗りたくったって、ストリップ劇場が子どもの教育環境としてふさわしくないことは。久部の言い分だって、自分たちを庇っているようで、別の視点から自分の好きなように消費しているに過ぎない。自分たちは、久部の芸術欲を満たすための人形ではないのだ。
でも、楠木の親切心もまたわずらわしかった。彼女はモネのことを下に見ている。男たちの前で裸になって、お金を稼ぐなんて可哀相と。尊敬していると口では言いながら、本当はストリッパーを下卑な職業だと白眼視している。だから、朝雄の絵を教室に飾らなかった。それが、モネには許せなかった。
「私と息子のことは、私と息子が決めます」
安全圏で施しを恵むことで悦に浸る世間に、モネは啖呵を切った。そして、これからはシェイクスピア俳優になると言ってのけた。勢い任せの大見得だ。でも、後には引けない母としてのプライドが、彼女にそう言わせた。二人のやりとりを見守っていた「テンペスト」のマスター・風呂須太郎(小林薫)は会計を求める楠木に「11万3000円です」とふっかける。彼もまた教育に悪い八分坂に長年根を下ろして生きてきた人間なのだ。落伍者には落伍者の誇りがある。
この一連のシーンがあまりにも良くて、瞼を熱くさせられた。やっぱり三谷幸喜は、世間から認められていなかったり、軽んじられている人たちの意地や反撃を描かせると抜群にうまい。三谷の筆には、踏ん張りながら必死に生きている人たちへの温かな愛がある。
東京の地理に詳しくない人のために説明すると、そもそも渋谷という街自体が、谷底にある。言い換えるなら、ここはどん底の街なのだ。八分坂は、谷底から這い上がる花道。そう思えば、この物語において渋谷はこれ以上ない舞台設定と言えるだろう。
ショウ・マスト・ゴー・オン。かくして素人は役者になった
二度目の涙は、ゲネプロのシーンだ。パーライトを盗まれた劇団「天上天下」の主宰・黒崎(小澤雄太)はゲネプロ中のWS劇場に乱入してくる。そして今まさに板の上で芝居をしている演者たちの前で「あの男を信じちゃダメだ」と久部のことを糾弾した。
だが、そんな黒崎の妨害を無視して、トニー安藤(市原隼人)は芝居を続行した。彼に呼応するように、倖田リカ(二階堂ふみ)の台詞にも力が入る。素人だらけの寄せ集め集団のお芝居に、演技力とはまた別種の熱が帯びていく。その輝きに、また瞼を焦がされてしまった。
たぶんトニーもリカも別に久部のことを信頼しているから、芝居を続けたわけではないと思う。ではなぜ彼らは芝居をやめなかったのか。考えられる理由は二つ。一つは、彼らが役者だったから。ショウ・マスト・ゴー・オン。三谷幸喜の代表的な舞台作品のタイトルだ。幕が上がった以上、最後までやり遂げなければいけない。寄せ集めは寄せ集めなりに、役者になろうとしていた。
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そしてもう一つの理由は、久部のためではなく、自分のために、彼らは気持ちを曲げるわけにはいかなかったんだと思う。
「自分を放り捨てた劇団に対する恨みしかない。こいつはそういうやつなんだ!」
黒崎の言う通り、久部は独りよがりだ。でも、恨みがあるのは、久部だけじゃない。ここにいる人たちは、みんな大なり小なり世の中に対して恨みを抱いている。自分をはじき出した社会を、社会とうまくやれない自分を、何クソと思っている。だから、あの場で屈するわけにはいかなかった。
リカが演じたのは、ヘレナ。想いを寄せるディミートリアスは、ハーミアに心を奪われている。人生はいつだって一方通行。誰も振り向いてはくれない。何一つ思い通りにならないヘレナのままならなさが、リカとシンクロした。リカもまたあのときようやく役者となったのだ。
演出家の手を離れて、役者たちは舞台の上で生きはじめた。幕が上がれば、舞台は役者のものだ。その出来栄えは、久部の思い描いたそれとは少し違ったかもしれない。でも少なくとも、自分の頭の中だけでこねくり回していた「夏の夜の夢」より、ずっとイキイキと躍動していた。久部もまた舞台の上で生きる彼らを見て知ったのだ。お芝居とは、自分ひとりでつくるものではないと。
だから、最後の台詞を蓬莱省吾(神木隆之介)の書いた通りにした。聞く耳持たない久部が「こういうのじゃないんだよ」とボツにした台詞を採用した。
久部も、リカも、モネも、トニーも、みんな変わりはじめていた。初日の幕が、間もなく上がろうとしている。
(文・横川良明)
『もしもこの世が舞台なら、楽屋はどこにあるのだろう』第5話 あらすじ
公演初日。劇団クベシアターの旗揚げのときがついにやってきた。興奮気味の久部につられるように、役者たちも舞い上がっている。公演成功を祈願して、ステージ上に祭壇が設けられ、江頭論平(坂東彌十郎)と江頭樹里(浜辺美波)がお祓いにやってくる。相変わらず冷たい態度の樹里に対し、久部は初日を観に来てほしいと声をかけるが……。
| タイトル | 『もしもこの世が舞台なら、楽屋はどこにあるのだろう』 |
| 放送日時 | 毎週水曜22時からフジテレビ系で放送 FODでは地上波放送後に次回放送分をプレミアム先行配信 |
| キャスト | 菅田将暉/二階堂ふみ/神木隆之介/浜辺美波 ほか |
| スタッフ | 脚本:三谷幸喜 演出:西浦正記 |
| URL | https://www.fujitv.co.jp/moshi_gaku/ https://fod.fujitv.co.jp/title/80uc/(配信ページ) |
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