【ネタバレ】久部=マクベスを討ち倒すのは誰?『もしがく』が突き進む破滅への助走路

また二人もいなくなってしまった……! 1980年代版『鎌倉殿の13人』もとい『もしもこの世が舞台なら、楽屋はどこにあるのだろう』。セミファイナルは、ついに久部三成(菅田将暉)がマクベス化。この救いのない展開は、最後にどこへ行き着くのだろうか。

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はたして蓬莱がマクダフとなるのか?

久部のキャラクターがシェイクスピアの『マクベス』を下敷きにしていることは、既報の通り。この10話は、まさに『マクベス』を踏襲するような内容だった。
 
『マクベス』の筋書きを改めて説明すると、いち将軍だったマクベスは主君である王を暗殺し、王位を奪う。そのきっかけとなったのが、3人の魔女だ。「万歳、いずれ王になるお方」という魔女の言葉にそそのかされ、マクベスは野心に取り憑かれていく。
 
つまり、この魔女の役割を担っているのが、おばば(菊地凛子)。そして、及び腰の夫の尻を叩いた悪名高きマクベス夫人が、倖田リカ(二階堂ふみ)というわけである。ただ芝居を愛する演劇バカだったはずの久部は、功名心によってすっかり人相が変わってしまった。古巣の劇団「天上天下」に顔を出し、小屋主になったと勝利宣言したところで誰からも相手にされない。当然だ。彼らは誰一人として久部のことをもはやリスペクトしていない。
 
嫌われ者の久部は、余計に意地になって「こっちだって、最高の『ハムレット』を見せてやる」と宣戦布告する。もはや彼の創作意欲は、演劇への純粋な愛だとか、お客様を楽しませたいというエンターテイナーシップから来るものではなくなってしまった。ただ認められたいという承認欲求のため、自分を軽んじてきた人たちへの報復のため。演劇はそれらを満たす手段でしかない。劇団の中で唯一久部を慕っていたトンちゃん(富田望生)はその変貌に気づいた。だから、立ち去る久部の背中を見送りながら、ぎゅっとノートを抱きしめたのだろう。
 
『マクベス』に話を戻すと、いつか自らも反逆に見舞われるのではないかと恐れるマクベスに、魔女は「女の股から生まれたものはマクベスを倒せない」という予言を授ける。今回、おばばが残した「お前の足を引っ張るのは、男から生まれた男」という予言は、このオマージュだ。本家では、帝王切開で生まれたマクダフがマクベスを討ち倒す。一方、『もしがく』では、ラストで蓬莱省吾(神木隆之介)の母の名が「乙子(おとこ)」であると明かされた。つまり、蓬莱こそが「オトコから生まれた男」だったという種明かしだ。情欲に溺れ、自分を見失った久部は蓬莱によって引導を渡されるのか。この二人の対決が、最終回のいちばんの見どころとなりそうだ。
 
 

野添義弘&長野里美の名優2人が底力を遺憾なく発揮

一方、今回の退場者となったのがWS劇場の支配人である浅野大門(野添義弘)とその妻・フレ(長野里美)。ベテラン二人の渾身の芝居が、クライマックスを大きく盛り上げた。
 
長野里美といえば、鴻上尚史率いる第三舞台の看板女優。第三舞台といえば、1980年代に巻き起こった小劇場ブームの一角を担う存在であり、まさしく『もしがく』が描く時代を彩った人気劇団だった。『朝日のような夕日をつれて』『天使は瞳を閉じて』『ハッシャバイ』など、学生演劇をかじった者なら自分も上演したことがあるという人は多いのではないだろうか。長野もまた「小劇場の女王」の異名を誇り、第三舞台解散後も変わらぬ存在感を示し続けている。
 
そんな長野の実力が、久部を罵るシーンで遺憾なく発揮されていた。フレ自身は、ちゃっかり者で、自分勝手で、おおよそ人格者とは言いがたい。今回の顛末も、自業自得と言えるだろう。だけど、「やっぱりあんた疫病神だよ」と久部に向かって形相を歪めるフレには、人間の愚かさと哀れみがみなぎっていて、不思議と共感できてしまった。あの気迫は、そんじょそこらの役者には出せない。1981年の第三舞台旗揚げから実に44年(!)。一心に演劇の道を歩んできた長野里美の真骨頂だ。
 
そして、野添義弘の愛嬌と渋みが哀愁を誘う。野添もまた三宅裕司率いる劇団スーパー・エキセントリック・シアターの一員として活動し、映像作品でもバイプレイヤーとして数多の作品に出演し続けた。なんと言っても印象的なのは、『鎌倉殿の13人』の安達盛長。腹黒い連中ばかりの物語の中で、唯一の良心として視聴者に愛された。野添の持つ庶民的な親しみやすさ、好々爺っぷりは、何か心温まるものがある。性格に難のある人が多い『もしがく』の中でも大門は信頼感があったし、何よりちょっとしたところでも笑いを生み出せる喜劇人の安定感があった。
 
そんな大門が、久部によって追放された。誰より久部を信じた人間が、久部に裏切られたのだ。でも、そういう人生の大勝負に負けるところも含めて、野添の演じた大門には人間味があった。
 
大門に対しては恩義がある久部は、まだ胸に残る一縷の良心から「必ず、ここをお客さんでいっぱいにしてみせます」と誓う。でも、そんな久部の約束に、大門は「どうでもいいや」とポツリと返す。この間のとり方が絶妙で、是尾礼三郎(浅野和之)はこれを見本にするといいよ!!と本気で思ってしまった。
 
「この世はすべて舞台。僕らはみんな役者に過ぎない」とシェイクスピアを引用する久部に、大門は「この世が舞台? じゃあ、楽屋はどこになるって言うんだ?」と堂々のタイトル回収。これによって、『もしがく』のタイトルが示す〝楽屋〟とはつまり舞台を降りた者たちの行く先という意味であることが改めて判明した。
 
そして、それはおそらく最終回、蓬莱か、あるいはまた別の誰かによって舞台から引きずり下ろされるであろう久部に降りかかってくる。もしもこの世が舞台なら、楽屋はどこにあるのだろう――この長いタイトルの真の意味がわかったとき、この物語は完結する。
 
(文・横川良明)

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『もしもこの世が舞台なら、楽屋はどこにあるのだろう』最終回 あらすじ

久部が支配人となったWS劇場では新たに『ハムレット』が上演されていた。ハムレットは久部。オフィーリアはリカ。二人の思い描いていた通りの配役だ。しかし、観客から圧倒的な人気を集めるのはレアティーズを演じる大瀬六郎(戸塚純貴)。大瀬に取材が殺到し、アンケートも大瀬に対する称賛ばかりで、久部は面白くない。予想外の展開に、伝統的な『ハムレット』を重んじる是尾も不満顔。大瀬に食われっぱなしのリカも苛立ちを隠せない。一方、トロ(生田斗真)を主役に立てた劇団「天上天下」の『ハムレット』も大瀬に観客を奪われたのか閑古鳥が鳴いていた。黒崎(小澤雄太)は「大丈夫だ。手は打ってある」と何やら企んだ顔を浮かべるが……。

タイトル もしもこの世が舞台なら、楽屋はどこにあるのだろう
放送日時 毎週水曜22時からフジテレビ系で放送
FODでは地上波放送後に次回放送分をプレミアム先行配信
キャスト 菅田将暉/二階堂ふみ/神木隆之介/浜辺美波 ほか
スタッフ 脚本:三谷幸喜 演出:西浦正記
URL https://www.fujitv.co.jp/moshi_gaku/
https://fod.fujitv.co.jp/title/80uc/(配信ページ)

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