『もしもこの世が舞台なら、楽屋はどこにあるのだろう』が完結を迎えた。稀代の喜劇作家・三谷幸喜が書き下ろした25年ぶりの民放GP帯連ドラはどんな結末を辿ったか。そのフィナーレから感じたものを、ここに書き残したい。
久部はダークヒーローにもなれない小悪党だった
多くの人が予想した通り、久部三成(菅田将暉)はWS劇場を去り、クベシアターは解散した。ただ、その筋道は「お前の足を引っ張るのは、男から生まれた男」というおばば(菊地凛子)の予言ほど泥仕合めいたものはなく、乙子(おとこ)から生まれた蓬莱省吾(神木隆之介)が引導を渡したというより、単に久部が自滅して終わったと言ったほうがしっくり来る内容だった。
強いて言えば、犬猿の仲である黒崎(小澤雄太)の魂胆により是尾礼三郎(浅野和之)が再び酒に溺れてしまったことが引き金ではあったけど、なぜ久部が嘘をついてまで是尾の泥をかぶったことを劇団員に隠したがったのか、その理由が今ひとつ腑に落ちなかった。是尾が高額の酒を飲んでしまったことは是尾自身の責任であり、久部に落ち度はない。にもかかわらず、その酒代を肩代わりすることは、美談にすることでもないが、世話になった先輩俳優への恩義と男気を感じるもので、正直に話せば責める劇団員はいなかったように思う。
なのに、なぜ久部は嘘をついたのか。尊敬する是尾を守りたかったと言えばそれまでなんだろうけど、自分の立場を危うくさせるほどのことでもないように思う。
また、久部が黙って売上に手を出してしまったことがきっかけで、劇団は分裂。久部は伴工作(野間口徹)ら信頼できるスタッフだけを引き連れて、倖田リカ(二階堂ふみ)と二人で仮面劇を決行しようとするが、それもリカの離脱により空中分解に終わった。リカがいなくなったことによって久部は劇団の解散を決意するわけだけど、こう見ると結局久部は演劇が好きで芝居がやりたかったというより、単にリカに惚れて、リカの心を手に入れるために劇団を続けていただけのように見える。演劇が好きだったというより、彼にとって演劇は自分に振り向いてもらうための道具であり、承認欲求を埋めるための手段に過ぎなかったのかなと思ってしまった。
実際のところ、そういう演劇人はわりと多いと思うので、それ自体は別にいいんだけど、じゃあそれが魅力的な主人公かというと首肯しがたいものがある。ダークヒーローともピカレスクとも称するに及ばない、小悪党という印象が残った。
演劇は、どうしようもない人たちをまるごと受け入れてくれる
でもそこは、三谷も、おそらく菅田将暉も想定内だった気がしている。むしろ、この小ずるくて、自分のことしか考えていない、決して愛すべき人間とは言いがたい男の哀れなもがきを、『もしがく』は描きたかったんじゃないかと思う。
なぜなら、成功することが必ずしも人生のゴールではないから。地位を得ることだけが、人生の幸せとは限らないから。
エンディングでは、劇団解散後のそれぞれの人生が描かれた。どん底から抜け出したいという野心に燃えるリカは、どうやら芸能界での成功を手にしたらしい。王子はるお(大水洋介)はスターとなり、黒崎もパルコ劇場らしい大劇場でトロ(生田斗真)と公演を打てるまでになり上がった。
蓬莱も放送作家として順調に仕事をしているようであり、彗星フォルモン(西村瑞樹)もパトラ鈴木(アンミカ)とうまくコンビをやっている。リカや黒崎ほど売れているかは定かではないけれど、みんなそこそこ幸せそうだ。
そして、彼らは公民館に集まり、上演の予定のない芝居を稽古し続けている。その姿が、なんだかとても眩しかった。トニー安藤(市原隼人)も帰ってきた。うる爺(井上順)もいる。浅野大門(野添義弘)とフレ(長野里美)も笑っている。そこには、成功とか地位とは、そういうものとはまったく関係のない何かがあった。
きっと、芝居を始めた頃は、みんなそうだった。ただみんなで芝居をするのが楽しかった。でも、そのうちこれで食べられるようにならなければいけない。もっとお客さんが入るようにしなければいけない。賞を獲って世間から認められるようにならなければいけない。いろんな欲や野心にまみれて、初期衝動だけでは戦えなくなる。そうやっていくつもの劇団が消えていった。
でもたぶん本当はそんなことどうでもよかった。おじいちゃんやおばあちゃんの集まるカルチャー教室がやっているような地元の公民館で、ああだこうだと言いながら、みんなで稽古をしているときがいちばん楽しかったんだ。なんだったら本番なんて来なくて良かった。本番が来てしまったら、あとは終わるだけだから。ずっと稽古をしているだけなら、終わらなくていい。あの公民館は、演劇に携わるすべての人にとっての終わらない楽園だった。
演劇は英語にすると「PLAY」である。PLAYとはつまり「遊ぶ」こと。演劇の根源にあるのは、遊ぶ気持ちなのだ。公民館にいる彼らは、とことん演劇をPLAYしていた。あの姿こそが、演劇人の原点だ。
人格者じゃなくていい。成功者じゃなくてもいい。どうしようもない人たちをまるごと受け入れる器の大きさこそが、演劇なのだ。だから、久部三成もどうしようもないクズでよかった。あんなダメな男を受け入れてくれるのは、演劇しかない。だから、人は演劇を愛し、演劇から離れられない。
久部もかつての仲間が心からPLAYしているのを見て、演劇への情熱を取り戻した。自転車の前カゴには、シェイクスピア全集の入ったバッグ。このバッグが、久部をWS劇場へと引き寄せた。ならば、今度はどこへ彼を連れて行くだろう。
久部三成の演劇の旅は、まだ終わらない。
(文・横川良明)
菅田将暉主演、三谷幸喜脚本の話題作『もしもこの世が舞台なら、楽屋はどこにあるのだろう』(通称『もしがく』)。1984年の渋谷を舞台にした群像劇、豪華キャストの競演、三谷幸喜らしい仕掛けが詰まった本作。FOD INFOでは、そんな『もしがく』[…]
| タイトル | 『もしもこの世が舞台なら、楽屋はどこにあるのだろう』 |
| キャスト | 菅田将暉/二階堂ふみ/神木隆之介/浜辺美波 ほか |
| スタッフ | 脚本:三谷幸喜 演出:西浦正記 |
| URL | https://www.fujitv.co.jp/moshi_gaku/ https://fod.fujitv.co.jp/title/80uc/(配信ページ) |
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